ねこは、パソコンを使ってると、邪魔する。
先日、実家で妹がパソコンを開いたら、そのパソコンの上を、わざわざ歩いていた。
パソコンの上を歩かなくても、ねこは自由に歩けるスペースがあるのに、だ。
わざと。
わざと、パソコンを邪魔する。
ねこにとって、パソコンは、どう見えるのだろうか。
なぜ邪魔するのだろうか。
論理的なパソコンと、逆のベクトルに位置するのが、ねこなのだろうな。
ねこは、パソコンを使ってると、邪魔する。
先日、実家で妹がパソコンを開いたら、そのパソコンの上を、わざわざ歩いていた。
パソコンの上を歩かなくても、ねこは自由に歩けるスペースがあるのに、だ。
わざと。
わざと、パソコンを邪魔する。
ねこにとって、パソコンは、どう見えるのだろうか。
なぜ邪魔するのだろうか。
論理的なパソコンと、逆のベクトルに位置するのが、ねこなのだろうな。
猫侍、すきなんだけど、こんど猫忍者っていう映画やるのね。
猫という対象は、ネットでどんどん広がるコンテンツだけども。
既存の「何か」と、猫をかけあわせると、新しいモノが見えてくる感じ。
侍という昔からある素材に、猫をかけると、猫侍。
忍者もそうだけど、猫をかけると、新しい。
他にはナニがあるかな。
きっと、なんにでも合うな。
猫と、ボクサーで、猫ボクサー。
猫とグルメで、猫グルメ。
猫と宇宙人で、猫宇宙人。
猫とカウボーイで、猫カウボーイ。
猫と魔法使いで、猫魔法使いって、これは昔からの組み合わせか。
猫とロボットで、猫ロボットって、ドラえもんか。
猫とパイロットで、猫パイロット。
猫と課長で、猫課長。
猫とアダルトビデオで、アニマルアダルトビデオ(AAV)。
うーん、いくらでも、あるんじゃないかな。
猫って猫自身があまりドラマを作る、作り出すものではないけども、それを取り巻く人たちがどう動くか、っていう想像や妄想を広げてくれそう。
カレーを入れると、なんでもカレーになる、の逆パターンの感じ。
猫を入れるとスパイスになるというか、そういう感じ。
猫とカレーで猫カレー、はどうか。
あ、猫鍋は、流行ったりしたな。
実家で猫を飼うとか言ってるので、はよ、猫成分を、はよ。
ざ、花粉症なりかかり人間なので、常にマスクをしている。
薬は飲んでない。
目はかゆい。
そんななか、昼にランチを公園で食べてると、目がしばしばしてくる。
いまなう、左目しばしば。
しかし、それでも、ランチは歩いておきたい。
じっとしてる仕事は、性に合わない。
あと、ぬこみたい。
今日はぬこいない。
晴れてるけど、風が強いから避難してるのかな。
晴れてて、風が強いから、花粉もよく飛んでるわ。
しばしば。
ペットを飼うことを考えたりすることもある。
ぬこは、癒やし。
でも、まず、わたし自身が生きていきぬくことで、いっぱいかもしれない。
ぬこは、癒やしだけど、わたしがぬこの癒やしになれるか、自信ないな。
ノラぬこさん盗撮するだけで、せいぜい。
おっぱいといやしについて、考えてみたばかりだけど。
おっぱいのいやし効果に負けず劣らずなものって何かしら?と考えてみた。
おっぱいは、つまるところ、母親への「甘え」なわけ。
おっぱいを舐めたいのも、おっぱいを口にふくんで、レロレロしたいのも、これは「甘え」なわけ。
母性への強烈な甘え。
その逆のいやしとはなにか。
ひとつは、ロリコンやショタコンによる「甘えられ」である。
まあ、これは、ある意味で犯罪であるところなので、問題になる。
おっぱいへの「甘えたい願望」は、お金さえだせば、舐めることも口に含むことも、犯罪ではなくなるけども。
ろりしょたへの「甘えてもらいたい願望」は、たとえお金を出しても、セーフにはならない、そんな世の中なので気をつけよう。
そうしたときに、「甘えてもらいたい願望」を満足させる手段は、合法的には2つあって、一つは実際に自分の子どもをこしらえて、育てることだ。
そして、もう一つが、ようやく本題であるところの、ペットに甘えてもらうことだ。
そのバランスの絶妙なところに位置するのが、ねここと、ぬこ先生たちなのだよ。
彼らは、いっちょまえに、りっぱに、独り立ちしている感じを見せる。
このあたりが、子どもを育てるところと、ちょっと違う。
彼らぬこたちは、「もう大人だから」みたいな顔をして「甘えたいとか思ってない風」を出したりしつつ、やっぱり飼い主に「甘えてくる」ところがあって、そのギャップというか二面性にやられてしまうのだよ。
つまり、つまりですね、わたしが言いたいのは、おっぱいと、ぬこを、すきに撫でたり、愛でたり、はぐはぐできる環境にあれば、人は「甘えたり」「甘えられたり」の欲求を満たすことができるので、もうこれ、天上の幸せなのではないかしら、という。
そして、そのどちらも持ち合わせていない、現時点のわたしのこころは、冬景色。
おっぱいと、ぬこのどちから一方でも、持ち合わせているアナタは、もうそれだけで、幸せだと言っても過言ではない。
つまり、わたしもそれがほしい。
タイトルつけると、こんな話。
昼間に、お散歩をしてる。
公園のベンチでランチにする。
それで、そのあと、ぬこがいないか、キョロキョロしながら、会社に戻る。
ある、木の下で、ぬこが寝てた。
黒いぬこ。
陽だまりのなか、陽の光を吸収する黒は、けっこうあたたかいはずだ。
ぐーぐーねてるから、その横を通りすぎるときに、ちょっと立ち止まって、コンデジを構えようとした。
バッグインバッグに手をやり、コンデジを取り出して、ぬこをみると、こっちを見てる。
寝てたはずじゃ?
そして、こっちを見つつ、にゃぁーと、なく。
眠り猫、寝てるとは言ってない。
ちゃんと、まわりは、察知してるのが、さすが!
一言かけて、撮らせてくださーいとお願いして、一枚パチリ。
暖冬だからこそ、かな。
を、妹(上)から教わった。
いわく、「髭は一本の線じゃなくて、立体になってるように描く」んだそうだ。
髭を一本の線で描いてしまうと、妙な感じになる。
もどってくる線というか、細くても戻りの線を入れるみたい。
ちょっと意識して練習してみないと、ホントにそれでいけるのか、わからんな。
やってみよう。
昨日帰る時のこと。
19時過ぎてたと思う。
最寄り駅から、うちのマンションまで、15分くらい、ずっと歩道を歩いて帰る。
もう、2分くらいで、マンションというところで、ねこを見かけた。
前方、20mくらいを、とぼとぼ歩いてる。
わたしが近づいたら、こっちに気づくかもしれない。
いや、気づいた拍子に、歩道から車道へ飛び出すかもしんない。
車道は、バスも通っていて、わりとその時間は交通量も多い。
わたしは声をかけることにした。
車が通り過ぎるのを待ってから、遠くから「おおーい。そっち行きますよー」と、ねこに声をかけた。
ねころびながら、ケツをぺろぺろしてたねこは、こっちに気づいた。
むくりと立ち上がり、車道へと歩き出すねこ。
いまなら、車はいないけど、やっぱり車道へ進むのかねこよ。
ねこは、暑さでぐったりしてるのか、車道へパッとは飛び出さず、のろのろ歩いてる。
わたしがさらに近づく。
ねこは、車道を渡りきり、向こう側の歩道についた。
車が通り過ぎる。
ふぅ。
みると、あっちの歩道についたねこは、またすぐにねころんで、ごろんごろんしている。
背中が痒いのか。
ただ疲れてるのか。
ねこは、向こう側の歩道のそばの住宅の前で、ごろんごろんしている。
遠くで雷がゴロゴロと音を立てていた。
ごろんごろん。
ゴロゴロ。