深夜四時と勃起

まあ、深夜だし、下ネタ書いておいてもいいよね。

うん、いいよ。

ありがとう。

深夜四時のすこし前に、目が覚めた。

いわゆる、朝だちしていた。

勃起してる。

勃起は、エロいことを考えてると、なる、のは、確かにあるけど、それだけじゃない。

乳首のボッキは、エロいこととは、関係なく、寒くてもボッキすることあるじゃん?

おちんちんのボッキも、エロいこととは無関係でも、ボッキするのよ。

朝だちは、尿意により、なる。

また、リラックスしてるというか、うとうとというか、気持ちがゆるーくなると、ボッキする。

副交感神経と、ボッキは関係があるのでね。

一方で、疲れている時にも、ボッキはする。

疲れマラ、とか、疲れ魔羅とか、いうらしい。

しぬまぎわに、射精して、子孫を残そうとする、とな。

都市伝説ではなく、実際、疲れてると勃起するんだって。

さてさて、いまの、わたしの勃起ぼっきのガチちんちんは、いかなる理由によるものか。

たんに、性欲だったりするのかな。

どれも、正解かもしれないし、違うかもしれない。

ボッキと、勃起と、字の統一をしない理由は、まるでない。

一つ、正解があるとすれば、深夜の四時前から、深夜の4時15分まで、ボキのおにんにんは、ボッキしてる、という事実。

ここで、おナニーして、寝た方がいいのか、このまま起きた方がよいのか、わからないけど。

無駄に射精しない方がよい、というのは、道教の教えだったかな。

セックスしても、射精はしない、という、房中術もあるもんね。

いや、セックスして、射精しない術を学びたいとは思ってないけど。

この日記が、どこへ行くのは不明。

酔ってはないんだ。

素面で、おちんちんのボッキの日記を書いているんだ。

なんて書いてたら4時20分。

いい加減、日記終わろう。

ボッキは治まる気配が、まるでない。

木曜あさから酔っている

水曜からのんでいたため、木曜のあさから酔っている。

たいてい、酔うと、おっぱい見たいツイートをするけど、昨夜はしなかった。

では、木曜のあさから、エロいエントリーしても、いいのでは。

ネットでは、課金することで、いろいろな権利が発生する。

ソシャゲとか、ゲームとか、ガチャガチャとか。

カタチがあるんだか、なんだか、わからな権利が、課金するとえられる。

あと、課金すると、おまんこをみれたりするが。

さて、課金。

たとえば、500円で課金するとしてね。

500円分の、相手のおまんこを見れるのと。

500円分の、自分のちんぽを見てもらえるのと。

どっちが、得な課金かなとか思ったりする。

木曜のあさから。

得、というか、どっちの方が、より、満足感があるだろう、という。

実際、どちらも、普段から自由にできる人には、まるで理解できない、課金かもだけど。

どちらも、普段はまるでないと、まあ、課金してでも、なんとかしたいとか思ってしまう。

出勤の電車の中でね。

今日は、普段にもまして、ダメだなあ。

えろすじゃないおっぱいの思い出

おっぱいソムリエとして、数々のおっぱいを堪能してきたわたし。

といっても、ソムリエが実際にお酒をごくごく飲まないのと同じように。

わたしの場合も、おっぱいをごくごくはいただかない。

写真を通してみる、バーチャルなおっぱいなわけだけど。

それでも、たくさんのおっぱいを拝見し、堪能してきた。

すると、どうしたことか、おっぱいなのに、えろを感じないおっぱい、というのもある。

いや、全く感じないわけではないのだけど、西洋絵画の裸婦像を見ているかのような。

見ていて、勃起するというのではなく、「おおぉ、美しい」と、素直に思うようなものだ。

一つに、宮沢りえの『Santa Fe』がある。

いまは児童ポルノ的にギリギリらしいのだけど、あのヌードを最初に見た時は、なかなかに「おかず」にするのは難しかった。

手に入れたのは、ちょうど、高校生のころだったのだけど、全身これおちんちん状態のころなのだけど。

それでも、あのヌード写真をおかずにするのは、難しかった(できなかったとは言っていない)。

誰だったか、テレビのタレントで、たしか笑福亭鶴瓶だったような気がするけど、「あれで抜くのは大したもんだ」みたいな評価をしていた。

しかも、宮沢りえ本人を前にして、言っていたような気がするけど。

それをみて「うんうん、確かに!」って思ったのと同時に、「本人にそれ言うか?」とも思った。

あれから、20年あまりたって、えろすじゃないおっぱいに再び出会った。

紗倉まな『スーパー・ポーズブック ヌード●バラエティ編4 Cute (コスミック・アート・グラフィック(Amazon )』がそれだ。

まあ、ヌードポーズ集というのは、えろすを感じないおっぱいが選ばれたりするのだけども。

紗倉まなというAV女優トップな彼女をつかって、エロくないっていうのがいかがなものかと思うけど。

えろすを感じないのだから、仕方ない。

おっぱいの模写する写真集として、とても実用的である。

おかずとしての実用度ではない。

ただ、二点、残念なテンガある。

一つが、「墨消しが大きい・多い」こと。

股関節がどうつながっているかというのは、ヌードポーズ集で大事な部分だと思うけど、前からぐるっと、おしりの方までだいぶ墨でまっくろけっけだ。

もう一つが、「こっちを見ている」こと。

ずっと、ずっと、紗倉まながこっちを見ている。

ヌードポーズ集なら、後頭部や、横顔も、大事な角度なのに、紗倉まながずっとこっちに目線を送っているのが気になる。

というか、それだと、ヌードポーズ集ではなく、ただの、アイドル写真集になっちゃうじゃん。

その一線だけは、なんとかヌードポーズ集の体をとってほしかったな。

でも、たくさんシコシコと描いてみたいポーズや、構図が多いので、おっぱいの練習しまくりだ。

モチベーションあがりまくりだ。

なかなかよいお買い物をした。

ぜんぶのポーズを描いてやる!という意気込みだ。

おちんちん写メとおっぱい写メの自撮りについて

写真を整理している。

Macの写真のソフトをアップデートしたら、昔の写真がいろいろと出てきた。

楽しそうにご飯を食べている写真。

ディズニーシーに行った時のはしゃいでいる写真。

旅行先での観光スポットなど。

いろいろな写真が発掘された。

これは楽しい。

黒歴史の写真も出てきている。

むかし好きだった人の写真とか。

これは悲しい。

その中には、おっぱい写メもあったりする。

自撮りだ。

彼女ではないけど、まあ、いろいろとアレな写真だったりするアレ。

女性は、自分のヌードを撮影することあるよね(あるよね?)。

そのヌードを誰かに見せて、褒められたりするのは、嬉しいみたいだ。

自信と言ってもイイかもしれない。

自分のヌードを、誰かが褒めてくれるのは、その人の生身をほめることになる。

男性の場合は、ヌードというか、おちんちんの自撮りだ。

男性の場合、ほぼ、80%のコンプレックスは、外見ではなく、おちんちんにあるよね(あるよね?)。

だから、自分のおちんちんを誰かに褒められたら、それは嬉しいのだ。

褒められるのは、嘘でも構わない。

嘘というか、お世辞かな。

お世辞でもぜんぜん構わない。

女性はヌードを褒められたら、嬉しいのと一緒で。

男性はおちんちんを褒められたら、嬉しいのだよ。

きっと。

女性がおっぱいを撮影するように、男性もおちんちんを撮影する。

わたしも撮影する。

というか、撮影していたようで、そういう写真が残っていた。

見返すことはなかったので、埋もれていた。

これも黒歴史ではあるな。

そっと閉じよう。

てか、Macの写真アプリの写真読み込みが終わらなくて、出かけられないのだが。

多肉植物とえろす

前にも、どこかで書いたけど、多肉植物のフォルムは、エロいと思う。

エロかわと言ってもイイ。

わたしの好きな女性のタイプは、ぽっちゃり系女子なわけだけども、多肉植物はまさにぽっちゃり系植物だ。

おっぱいのふくらみのようにも見えるし。

おちんちんのふくらみのようにも見えるし。

と、あえて、下ネタを書いてみなくても、多肉植物のフォルムを観察すればするほど、それはエロいのだと思えてくる。

直接的なエロと結びつかないとしても、ふんいきエロは、感じ取れるのではないだろうか。

多肉植物を育てていて「多肉植物をエロ可愛いと思えない人」というのは、少数派なのではないだろうか。

あと、個人的にだけど、多肉植物を好きな人には、エロい人が多いと、思うのです。

そこの、アナタが、もしエロい人ならば、多肉植物を育てるのをオススメするです。

オープンなエロスはムリだ

最近、ツイッターで、エロいイベントについて、ちょっと話題になっている。

フェチフェスとか、水龍敬ランドとか、AVのイベントとか、ポチャフェスとか、なんとか。

エロいイベントは、それこそ、あちこちで行われているようだ。

しかし、それらに興味があっても、行ける気がしない。

いや、わたしには、ムリだ。

もしわたしがエロいことするなら、それは1対1の問題だ。

それが、たとえば撮影会のようなものであっても、1対1のエロ撮影ならできるが、それ以外は受け入れがたい。

わたしのように、コミュニケーション能力がほぼ皆無の人間にとっては、面と向かった1対1でしか、エロいことはできないからだ。

もし、エロい格好のした女性が目の前にいたとしても、そこに群がるようにたくさん男性がいたとしたら…。

それだけで、わたしなら逃げ出す。

そういうイベントに、ガンガン参加できる女性や男性は、よっぽどコミュニケーション能力が高いんだろうな。

もし、わたしのように、1対1のエロスを望むのなら、それこそ、風俗行けって話になるだろうしな。

蛇足でいうなら、自分のちんちんがおっきしたところを、見られるのも、それは1対1の関係においての場合に限るしな。

男子トイレとズボン脱ぎ

会社のトイレでちょっとびっくりしたこと。

トイレでズボンをきっちり下ろして、おしっこしている男性がいたこと。

男性のトイレって、股間にチャックがあって、そこだけひらけば、おしっこできるわけで。

だから、ズボンを脱ぐ必要は、基本的に無いわけ。

しかし、その男性社員は、ベルトも外し、ズボンをさげて、おしっこしてた。

わたしが、そうやっておしっこをしたのって、たぶん、幼稚園(保育園)のころだったと思う。

ズボンをずるっと膝ちかくまで下げて、そのときはおパンツもずるっと下げてたと思うけど。

あのおしっこの仕方が、子どもながらに恥ずかしかったのよ。

だから、小学生に上がる前に、おしっこはズボンをはいたままできるようになってた。

それが、大人の男性トイレで、同じような光景をみるとは、びっくりした。

でもでも、もしかしたら、そうしておしっこする人も、けっこういるのかもしれないな。

ちなみに、男性社員は、Yシャツが長かったので、おしりが丸見えとか、パンツ丸見えとかではなかった。

そんなんみたら、グロ注意で、男性トイレ行きたくなくなるわー。

起承転結はけっこうたいへん

ブログを書こうとするとき、二つの大きなハードルがあると思っている。

一つは「タイトル」だ。

魅力的なタイトルを思い浮かぶかどうかで、集客率も変わってくるとか何とか言われているという噂を小耳に挟んだような気がするけど、あやふや。

もう一つは、「起承転結」の構成だ。

ブログによっては「起結承転」とかそういう場合もあるけど。

なんていうか、「おち」をつけようとすると、結構たいへんなのよね。

しかし、日記の場合は、自分の思ったことを書けばいいわけ。

これが、楽。

落ちにならなくても、「起承転結」のうち「起承」くらいでもいいし。

なんだったら「起」くらいのものでもいい。

なんかしら、日常でひっかかったことを、メモすることができれば、それで日記としてはいい。

投げっぱなしジャーマンともいう。

そういう意味で、この「日記かな」は、いつでも書けるし。

また、いつでも、一つの文をやめてしまっても、問題ない。

らくちんちんである。

一人称(わたし)について

このブログ(というか日記)では、一人称を「わたし」にキメました。

その理由は、前のブログが「ぼく」だったから。

もう一ついうと、774のブログの方は、「おら」だから。

ブログを引っ越しするときに、リニューアルオープンな気持ちなわけです。

そうしたときに、何らかの、自分なりの「区切り」が欲しくなるわけです。

そこで、一人称を、色々と変えています。

って、デスマス口調にしないでもよいのに、なんかですますになるのは「わたし」という一人称に引っ張られている気がします。

一人称をかえると、文章の流れが若干変わります。

書いている本人は、同じ一人なのだけど、「わたし」という一人称にそった(ような)文章になっていきます。

それは、ちょっとだけ、自分でも不思議なのだけど。

前に、どこかのブログで、「私」で書いていた時には、女性だと思われていましたw

いや、別に性別を隠したり、詐欺ったりするつもりは無かったのですけどね。

でも、そのときのブログには、足湯につかる写メを載せたりしてたし。

そこにはすね毛ボーボーの足が写っていたんですが、それは…。

ここでは、今のところ「わたし」で進めていきます。

「わたし」には、ちゃんと、ちんk付いてますのであしからず。

って、最後の文いるか?w