忍者とコンビニ

忍者の修行に、ジャンプ力をのばす方法がある。

小さな木を飛び越える修行を毎日行うことで。

最初は小さな木を飛び越えることしかできないのが、木の成長とともに、ジャンプ力も増して、高い木を飛び越えられるようになるという。

一方で、コンビニのおにぎりやサンドイッチである。

知らず知らずに、どんどんカロリーが減ってきている。

お値段据え置きで、ファミマの焼きしゃけおにぎりが、194から190Kcalに減った。

海老とブロッコリーのサンドは、269から256Kcalへと減った。

気づかないように、少しずつ、少しずつ減らしていくことで、最終的には、0Kcalのランチを、お金を払って買うことに、抵抗がなくなるってなもんで。

ダイエットは、ある意味では、修行なわけだけど。

コンビニは、勝手にダイエットの修行を手伝ってくれてるみたいだ。

忍者のジャンプ力と、コンビニのダイエット力の共通点に、思いをよせるランチドキ。

プレゼントと食べ物

誰かに何かをプレゼントする時に、自分の場合は「食べ物」をプレゼントすることが多いかもしれない。

まあ、プレゼントと大げさに言わなくても、お土産でもいいのだけども。

「モノ」というか、「使ってもらうモノ」や「置モノ」や、それこそ「ファッションに関わるモノ」なんていうのは、実際にプレゼントを気に入ってもらえるか難しいところがあるので。

だったら、食べ物であれば、まあ、食べて終わりってことになって、さっぱりするかなーと思う。

逆にいうと、自分自身があまり、「モノ」に執着しない感じに最近はなってきているので、「モノ」をもらっても、いらないって思ったら捨てちゃうのよね。

「モノを捨てさせる思想」を売ってビジネスにしている人がいるけども、あれに染まったわけじゃなくても、モノってあんまり持っていたくない感じになってる。

まあ、食べ物も、「買い置き」ができないタイプなので、食べきっちゃうのだけどもね。

「相手をみる」ということ

「みる」という漢字はいろいろとあって。

「診る」も「観る」も「見る」も「視る」も、あるわけだけど。

そのときに、こちらの都合で、解釈をくわえて「みる」と、ぜんぜん違った「みえ方」をしていることがあると。

そうなのだな、と思った次第。気づいた次第。

自分の思いや、妄想や、想像や、考えなどがあって、たとえば「こうなったらいいな」という意識がつよいと、そうみえてしまうという。

自身は「Aという結果」を望んでいたとたときに、相手が反応したことを、勝手に解釈して、「相手もAでOKなのだな?」と思い込んでしまうというのは、ちょっとこわいな。

相手は「Aではなく、まるで正反対のBを望んでいた」としても、それを察することすらできないという。

もっと、自分の意識は横において、「ありのままで相手をみる」ことを、気付けるようになる!のだ。

今回、学び・覚えたので、次の機会では、改めよう。

鼻チュー

「鼻チュー」という言葉があると、いま、さっき知ったのだけど。

猫が鼻と鼻でチューする挨拶のことを、「鼻チュー」というらしい。

あれの意味は、相手のニオイに興味があるとか。

敵意はないですよ、とか。

安心してるよ、とか。

もっと***してよ、とか、そういう意味があるらしい。

うん、そう、少なくとも「敵意はない」というのは、間違いないね。

そっかー、昨日、猫にチューされたというのは、距離感がぐっと縮まったという証なのだね。

鼻と鼻じゃなくて、ひじと鼻だけど、嬉しいね。

人間でいうなら、握手とかのレベルかしらね。

もっとその上には、ハグして肩を叩くってことレベルや、さらに上の「口チュー」するっていう段階もあったりするのかしらね。

あ、そうそう、人間の愛情表現の「口チュー」を、飼い主とペットでするのはあまりよくないとも聞くけどね。

でも、猫と人間で「鼻チュー」するのは、飼い主とペットの間では、わりとあったりするよね。

チューする関係というのは、猫でも人間でも、愛情や親愛の証なのだなぁ。