苦あれば楽あり、とその逆について

もしかして、だけど、真理を見つけたのかもしれないこと。

苦あれば楽ありって、苦しみのなかにずっといると、それってマイナス状態にあるわけで。

そこから、なんでもない、ふつーの、プラマイ0のことがあると、マイナスから0になっただけでも、プラスに感じるのでは?

0を楽だと感じるわけ。

逆に、楽あれば苦ありは、まず、楽しいプラス状態にあるわけ。

そこから、ふつーの、ただの0の状態にならような事があったとすると、プラスから0になるとき、マイナスに落とされた気になるわけ。

0を苦しみだと感じるわけ。

楽あれば苦ありも、苦あれば楽ありも、それ、あたり前の0を、どう感じるかの問題なのでは。

そう、0でも、楽と感じる時があれば、苦しみと感じる時もある。

そんなことを、Twitterを見ながら、思ったりした。

徒然草生える。

生き返る道具としぬイベント

ゲーム実況動画をよくみるのだけど、ちょっといつも思う疑問

主人公がHPが0になっても、誰かが、どうやってか、かならず生き返らせてくれる。

それが、序盤のお城の近くでなら、まあ、わかる。

見回りの兵士や、行商の人が見つけてくれる可能性がある、かもしれないし。

でも、それが、とてもとても深いダンジョンの中で、HP0で全滅した場合、いったい誰が見つけてくれるというのか。

それが、最終ダンジョンのラスボスの前だったとして、そこれ負けた主人公たちを、誰がさがしだして、蘇生してくれるというのか。

そんな場所で、死体を運び出せるくらいに強い存在のモノがいるのだとしたら、もう、そいつがラスボス倒しちゃえよ、なぁ。

あと、魔法や道具で生き返らせてくれるモノがあったとして、イベントで死ぬ仲間は、なぜ助けられないのか。

いや、もう、エリクサーでも、ベホマでも、ザオリクでも、アレイズでも、何でもつかって、どうぞ。

ゲーム実況は好きで、別にケチをつもりはなくて、いつも楽しく見ているのだけど。

お涙ちょうだい的な、キャラが死ぬイベントが苦手だな。

消し炭になって飛ぶような、強力な魔法で負けたって、主人公は生きているのにさ。

お願いできない

誰かに、なにかをお願いすることができない。

仕事であってもできない。

お願いするくらいなら、自分でやってしまう。

お願いされることは、腐るほどある。

けっか、潰れていく感じになる。

最初に断ったことが、めぐりめぐって、自分に回ってくるとか。

けっきょく、誰も手をあげなくて、あげさせることも、やってもらうこともできずに、自分でやるとか。

よくあるな。

今朝、みた夢は、いま、会社で抱えている仕事のことだった。

けっきょく、また、自分でやることになりそうだ。

Infini-T Forceめちゃすき

せっかくなので、いま見ているアニメ『Infini-T Force』をオススメしておく日記。

http://www.infini-tforce.com/

タツノコプロの55周年記念アニメである、この作品。

実は、見始めたのは11月入ってからだったと思う。

しかし、もう、すっかりトリコになっている。

さかのぼって、動画配信サイトでお金払ってみてるくらいには、好き。

最新を見るなら、ニコニコ動画でコメントみながらもいいけど、有料で見るならDMMとかをオススメする。

ニコニコの場合、プレ垢じゃないと、有料で買った番組でも画質がヒドイからな(呆れ)。

ともかく、インフィニティフォースのよさを、ネタバレなく伝えるとしたら、「タツノコプロが考えるヒーロー像」を、真摯に丁寧に描いている。

話も、アクションも、アニメのデキも、声優さんの演技も、すべてよい。

別のアニメの主人公が、違和感なくミックスして、ブレンドして、面白さをマシマシになっている。

それぞれのアニメの作品を知らなくても、全く大丈夫なのも、ハードルが低くてよい。

わたしも、実際、子どものころに、なんとなく、うっすら再放送で見た記憶があるかもしれない…というくらいに、過去の作品のヒーローを使っているわけだけど、古臭さは無い。

昭和なヒーローという感じは、うっすらガッチャマンがキャラとして背負っているけども、それ以外は、きちんと現代の日本の中のキャラに描きなおしている。

ヒロインのクセがあるので、最初、「イヤなやつ」っていう気持ちになってしまうのだけど、それでも、大丈夫だ。

『「ただ悪を倒す」だけじゃないヒーロー』が、そうしたヒロインと、どうなっていくのか、を楽しむことができるはずだ。

というか、きっと、1話を見たら、続けて見たくなることだろうと思う。

あちこちの動画サイトで配信されているので、まずは、見てみてほしい。

完結まで応援していきたい作品。

素朴なシモネタ

急に、シモネタなのだけど。

ニオイが似ているものって、成分が似ているのかな?

さっき、キッチンハイターを使ったのだけど、あれって、ちょっと「精子」のニオイに似てないかな?

あれって、なんのニオイなんだろうか。

似ているニオイでいうと、プールの消毒剤のニオイも、「精子」のニオイに似ているだよな。

さらに、栗の花も、「精子」のニオイに似ているというよね。

いったい、ぜんたい、何がそんなニオイにしているのだろうか。

もしかして、もしかしてだけど、アルカリ性のニオイなのかな。

「精子」がアルカリ性っていうのは、聞いたことあるんだよね。

膣の中が弱酸性で、精子がアルカリ性っていうことらしい。

ハイターは「塩素系」洗剤っていうから、てっきり、酸性なのかと思っていたのだけど、さっき商品ページみたらアルカリ性って書いてあった。

栗の花は、あれって、渋皮がついているっていうことで、渋いっていうか、苦いっていうのは、アルカリ性なのではないだろうか。

そして、これは何度もどこかで書いているのだけど、「このニオイ」を、高校1年生のときに知っている女生徒がいてね。

どこでそのニオイを知ったんだろうか、エロいな、って思った、思い出。

脈絡もなく、シモネタを思いつくときって、意外に体調が良くないときだったりするんだよな。

まあ、思いついたきっかけは、キッチンハイターを使ったことが、きっかけだけど。

まあ、うん、体調悪いんだろうっていう、日記。

長文乱文とは?

なにかの文書の締めの方で、『長文乱文失礼しました。』と書くアレ。

これって、書く人は、本当にそう思って書いてるのかなぁ。

みんなそういう締めの言葉を使うようで、それにならって、書いてるだけの人もいるのかなぁ?

ある、ポッドキャストでコメントにこの『長文乱文、失礼しました。』みたいなのが、それこそ乱立するのだけど。

この決まり文句のあとに『P.S.〜』と、さらにコメントが続く時も、けっこう多くて。

『失礼しました』って書いた後に、さらに『P.S.で長文乱文を足す意味とは?』と考えてしまう。

長文乱文で失礼したの後に、さらにP.S.付け足す人は、決して『失礼しましたと思ってない人』という認識。

それなら、失礼しました、なんて、言わなきゃいいのにな。

そういえば、先日電車の中で、ごめんなさいごめんなさいって絶叫しながら、相手を殴って逃げる人を見た。

そんな気分。

キャストオフ

服を脱ぐことで、役割をオフできる気がする。

普段、身につけてるけど、本当なら身につけたくない服が、いくつかある。

第3位は、ネクタイ。

会社モードで、冬だけつけてるけど、夏につけなくてよいなら、冬だっていらないだろ、って思う。

第2位は、クツ下。

靴をはく時に仕方なく履いてる。

けど、クツ下は、帰宅したら、すぐに脱ぐね。

サンダルや下駄で、一年中過ごしてた江戸の人たちにも、水虫はあったのだろうか?

そして、第1位は、パンツ。

お風呂から上がったら、もう、パンツを穿いてることは、ない。

外に行かないでいい休日なら、そのままノーパンで過ごしたい。

て、いうか、家の中で、パンツの意味あるの?

以上、仕方なく身につけてる服ベストスリーでし。

風邪ひきそうと、ひいたとき

風邪ひきそうなちょうしの時は、風邪薬を飲む。

引く前に飲むタイプ。

逆に、風邪をひいてしまった時には、風邪薬をあんまり飲まないタイプ。

治ってきたら飲むっていう。

一番ちょうしわるい時には、風邪薬を飲むより、カラダの抵抗する機能を使いたい。

わたしの、わたしを守る抵抗戦隊メンエキジャー!の出番。

ここで、活躍してくれ!たのむ!っていう。

むしろ、抵抗戦隊が弱いから、風邪をひいてるのだけども。

抵抗戦隊は、日々鍛えておかないと、さらなる強敵の出現の時に、たちうちできないもんね。

たたかい続けて死屍累々は、鼻水だったりするんだけど。

まだ、鼻水ズルズルだなぁ。

食事と便意と腸の気持ち

この週末、食っちゃ寝、食っちゃ寝だったのだけど。

そのなかで、食事と便意について、思いを馳せた。

「思いを馳せた」って言葉、美しいよね。

便意について、で使っても、美しいかな。

便意って、腸が動いて、おこるけども、これって、ごはんを食べると、便意がおこる。

当たり前だろうけど、そう気づいた。

ごはんを一口でも食べると、腸が「お?なになに、ごはんタイム?これから新しいごはんが入ってくる??なら古いうんこを出しておいて、スペース作っておかないとだ!」って、感じに、せっせと便を外に排出しようとする。

あたらしいごはんのエネルギーを、しっかり確保できるなら、うんこの残り滓エネルギーを身体に溜め込んでおく必要は無いって判断だ。

そういう腸の気持ちが分かった。

タレントの年齢って

ヤフーニュースとかみてて、いちいち年齢が書かれるのって、なんなんだろうな。

いるのか、これ。

いるんだろうなぁ、いるから書いているんだろうなぁ。

タレントの***(33歳)とか、なんとかって、女性の年齢でも男性の年齢でも、性別には関係なく、書いているみたいだけど。

日本の記事だから、年齢が書かれるのが「当たり前」なのかな。

全部を全部、海外の(グローバルの)スタンダードに合わせる必要はないんだけどさぁ、これってずっと続けたほうが良い「文化」なのかな。